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私の歴史2017.08.26

・『住まい』は生活の変化に対応して(この章は飛ばしてお読みください。)

 

私の周辺では、昭和40年代頃の住まい設計は、『小住宅』と言われ平屋で床面積20坪(65㎡)前後の建物研究です。

 

大家族主義から核家族化へ。団塊の世代が独立した『住まい』を入手できるように、核家族化への脱皮を背景に洋室と称される板の間屋に絨毯敷きなど洋風建築を模した『住まい』のはじまりです。

 

都会では、老朽化と高齢化と住まい方の変化で、今話題の団地族の始まりの頃です。ガスコンロの普及と水道配管や設備の充実からDKの部屋割りに繋がってきます。

 

昭和50年代に入り、団塊の世代の子供、団塊Jr.が成長してきました。成長と共に『住まい方』や『住まい』の大きさが変化してきました。

 

プライバシーが確保できる部屋、寝室や子供室等の独立性の確保。台所の機能の充実等、総床面積が徐々に大きくなってきました。50坪(150㎡)60坪(180㎡)という具合です。

 

住宅金融公庫の上限も165㎡、200㎡と枠が広がってきました。要求される市場に、政策が追うという構図でした。振り返ればその時代の真っただ中に居て家づくりをしていた訳です。

 

経済成長の時代いとはいえ、要求されるままの大きさを建物に反映すれば、更に大きくなり、建築金額も大きくなります。『住まい方』の変化で工夫が生まれました。

 

その工夫の一つが『LDK』です。都会では3LDK・2LDKと大きさの基準になってきました。近年では『ワンルームマンション』に代表されるように、一部屋で全て間に合わせられるような工夫に繋がっていきます。

 

私の周辺の『住宅』では、その頃でもまだまだ和室二間続きの部屋が頑固に残っていました。開口の大きな、明るく風通し良い南向きの部屋を、客間と称して家人は使わず、家人は『暗く寒い北側の部屋』を寝室として使うという風習が残っていました。

 

(これから『断熱材』の話になります)